「ほんのちょっとの一言」
その一言で励まされ
その一言で夢を持ち
その一言で腹が立ち
その一言でがっかりし
その一言で泣かされる
ほんのちょっとの一言が
不思議に大きな力を持つ
ほんのちょっとの一言で
作者:不明
あまりにも「心無い人」の軽はずみで無礼な言葉を耳にしたので
この記事を書いてます。
言わなくてもいい一言を無責任に言う人っていませんか?
またそういった人は
「自分は決して間違ってない、悪くない。」と思っていたりするから
これまた始末が悪かったりします。
相手を傷つけたり、
困らせたり、
怒らせることって
些細な一言だったりします。
そういう私も昨晩、寝ぼけて大変失礼な発言をしたようで
今朝起きるや否や嫁さんにこっぴどく叱られました(笑)。
速攻で「ごめんなさい。」と謝る38歳のおっさんがいました。
たまには言い損ねることもあるでしょうが、
そのときは「ごめんなさい。」と心から言える人でいたいと思います。
「心無い人」って
基本的に自分は全然悪くない、悪いのは全部他人
私は被害者で周りはみんな加害者といった視点が強いと思います。
でも、誰一人の支えもなければ生きていけないわけで
感謝の気持ちを持て!というよりかは
まずは発言するその一言、その態度を謙虚に見つめて言えるかだけですから。
物事がうまくいかないことは
たとえ相手が暴君であったとしても
その理由のほとんどは自分にあるわけです。
そうであるなら、
相手がどうこうだからじゃなく、
その自分が発信する一言からすべての方向は決まっていくものと思います。
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Archives for 3月 2011
3年B組金八先生
昨晩、テレビドラマ「3年B組金八先生」の最後の特番がやっていました。
4時間強の時間。
途中、子どもをお風呂に入れたりしてたのですが、
最後まで見ました。
基本的にドラマを全然見ない私です。
こんな感じでドラマを見たのも何年ぶりでしょうか?
私は「金八世代」でもないのです。
強いて言えば中学生の頃、夕方の再放送を見ていた世代です。
(そんな世代あるのかわかりませんが)
なので思い入れも「part2」しかありません。
学生時代、私がなりたかった職業は「学校の先生」でした。
私の人生に影響を与えてくださり、
先生になりたいと思わせてくれた先生は2人います。
一人は小学校5、6年のとき担任だった大西先生。
今の時代では考えられないくらいスパルタな先生で
もう何百発殴られて怒られたかわかりませんが、
私を一番誉めてくれた先生でした。
今でも大好きな先生です。
もう一人は架空の人物ですが、金八先生です。
実在すればややウザい感じも否めませんが(苦笑)、
あんなアツイ先生になりたいなと思ったものです。
「腐ったミカン」加藤優の話は
当時、中学生だった私にはとても衝撃的でした。
自分を見捨てた学校へ友人の為に乗り込み
監禁罪を問われた「卒業式前の暴力①②」は今でもビデオで持ってます。
何十回と見て何十回と泣きましたが、
たぶん今見ても涙がとまらないと思います。
方法論は間違っていたけど
学校や警察に必死に訴えた中学生。
大好きだったコラムニスト 故ナンシー関さんが
あのドラマのスゴイところは
今、先生や警察官をしている大人ですら
見ていたらあの加藤優の気持ちになってしまうことと書いてました。
全くその通りと思うのです。
金八先生のような
ある意味、クサいドラマは敬遠したり、
時代遅れと笑う人も多いでしょうが、
時代が変わっても決して変わってはいけない何かが一杯詰まったドラマとも思います。
日本の漫画は世界でも評価が高いのですが、
それはすべてにおいて根底に「正義感」があるからだと本で読みました。
人によっては死語のような意味になりつつある「正義感」という言葉。
人として、これがあるかないかで大きく人生は変わると思います。
そんなことを教えてくれた、気づかせてくれたそんなドラマが金八先生でした。
だから30年以上経ってもこうして最後の特番が組まれたのでしょうね。
学校の先生になりたかった
若き頃の熱い気持ちを思い出し、
少し照れ笑いしながら見た
昨日の夜のドラマのお話でした。
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4時間強の時間。
途中、子どもをお風呂に入れたりしてたのですが、
最後まで見ました。
基本的にドラマを全然見ない私です。
こんな感じでドラマを見たのも何年ぶりでしょうか?
私は「金八世代」でもないのです。
強いて言えば中学生の頃、夕方の再放送を見ていた世代です。
(そんな世代あるのかわかりませんが)
なので思い入れも「part2」しかありません。
学生時代、私がなりたかった職業は「学校の先生」でした。
私の人生に影響を与えてくださり、
先生になりたいと思わせてくれた先生は2人います。
一人は小学校5、6年のとき担任だった大西先生。
今の時代では考えられないくらいスパルタな先生で
もう何百発殴られて怒られたかわかりませんが、
私を一番誉めてくれた先生でした。
今でも大好きな先生です。
もう一人は架空の人物ですが、金八先生です。
実在すればややウザい感じも否めませんが(苦笑)、
あんなアツイ先生になりたいなと思ったものです。
「腐ったミカン」加藤優の話は
当時、中学生だった私にはとても衝撃的でした。
自分を見捨てた学校へ友人の為に乗り込み
監禁罪を問われた「卒業式前の暴力①②」は今でもビデオで持ってます。
何十回と見て何十回と泣きましたが、
たぶん今見ても涙がとまらないと思います。
方法論は間違っていたけど
学校や警察に必死に訴えた中学生。
大好きだったコラムニスト 故ナンシー関さんが
あのドラマのスゴイところは
今、先生や警察官をしている大人ですら
見ていたらあの加藤優の気持ちになってしまうことと書いてました。
全くその通りと思うのです。
金八先生のような
ある意味、クサいドラマは敬遠したり、
時代遅れと笑う人も多いでしょうが、
時代が変わっても決して変わってはいけない何かが一杯詰まったドラマとも思います。
日本の漫画は世界でも評価が高いのですが、
それはすべてにおいて根底に「正義感」があるからだと本で読みました。
人によっては死語のような意味になりつつある「正義感」という言葉。
人として、これがあるかないかで大きく人生は変わると思います。
そんなことを教えてくれた、気づかせてくれたそんなドラマが金八先生でした。
だから30年以上経ってもこうして最後の特番が組まれたのでしょうね。
学校の先生になりたかった
若き頃の熱い気持ちを思い出し、
少し照れ笑いしながら見た
昨日の夜のドラマのお話でした。
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いざ、京都
「さくら(独唱)」
作詞/森山直太朗・御徒町凧
JASRAC許諾第J090816598号
「さくら さくら 今咲きほこる
刹那に散るゆくさだめと知って
さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今」
甥が今年、高校を卒業し
京都の大学に行くことになりました。
通学もなかなか厳しいので
一人暮らしするために今日、京都へ引越しします。
朝、会社に来る前に
餞別&激励に顔を出してきました。
8時くらいにいったのですが、まだ寝てました(笑)。
私は一浪してますので19歳のときに親元を離れました。
それから17年も一人でいるとは予想もしませんでしたが(笑)、
一人暮らしを始めるときの期待と不安が入り混じった気持ちを
少し思い出しました。
それでも私は楽しさいっぱいでしたが、
今思えばあの時、母は寂しかったろうなと親になって一層思います。
兄や姉も寂しいだろうなと思いつつ
今日まで元気で育ち旅立てることは嬉しいことだと思っているでしょう。
まぁ、一人暮らしも無条件で楽しいのは3日ほど(苦笑)。
当たり前のようにあったご飯や洗濯物が
当たり前じゃなかったことにきづいたり、
口うるさいのと思ってた親の言葉が
なんか妙に懐かしく思えたりすることでしょう。
ごくごく普通でかまいません。
素晴らしい青春時代を過ごしてきて欲しいと思います。
20年前の自分を思い出しました。
「凌くん、頑張れよ!」
叔父さんより
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作詞/森山直太朗・御徒町凧
JASRAC許諾第J090816598号
「さくら さくら 今咲きほこる
刹那に散るゆくさだめと知って
さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今」
甥が今年、高校を卒業し
京都の大学に行くことになりました。
通学もなかなか厳しいので
一人暮らしするために今日、京都へ引越しします。
朝、会社に来る前に
餞別&激励に顔を出してきました。
8時くらいにいったのですが、まだ寝てました(笑)。
私は一浪してますので19歳のときに親元を離れました。
それから17年も一人でいるとは予想もしませんでしたが(笑)、
一人暮らしを始めるときの期待と不安が入り混じった気持ちを
少し思い出しました。
それでも私は楽しさいっぱいでしたが、
今思えばあの時、母は寂しかったろうなと親になって一層思います。
兄や姉も寂しいだろうなと思いつつ
今日まで元気で育ち旅立てることは嬉しいことだと思っているでしょう。
まぁ、一人暮らしも無条件で楽しいのは3日ほど(苦笑)。
当たり前のようにあったご飯や洗濯物が
当たり前じゃなかったことにきづいたり、
口うるさいのと思ってた親の言葉が
なんか妙に懐かしく思えたりすることでしょう。
ごくごく普通でかまいません。
素晴らしい青春時代を過ごしてきて欲しいと思います。
20年前の自分を思い出しました。
「凌くん、頑張れよ!」
叔父さんより
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今日帰ってきます。
最近は、ブログも震災絡みばかりでした。
連日のテレビを見ていると
他のことをあまり書く気にならなかったですが、
今日から日常のことなどもまた書いていきたいと思います。
被災地の1日も早い復興を心より祈念申し上げます。
先週は我が家も何かとありました。
木曜日の朝起きて、2階の寝室から降りてくる際に
嫁さんが子どもを抱いたまま階段を3段ほど踏み外し転落。
子どもは無傷だったのですが、
子どもをかまったためか足を痛めて病院にいったら
左足の指を二本骨折しました。
ギブスをはめて固定するも
子どもの世話はおろか家事もできないので
まずは母に来てもらい手伝ってもらいました。
金曜日から実家に帰ってますが、
今日診察に行くこともあり、5日ぶりに2人の娘と3人で帰ってきます。
逢わなかった5日間ですっかり成長しているようです。
2歳の長女はメッチャしゃべります。
電話しても会話が成立するようになってます。
今朝も電話があり、
ともみ「モチモチ」
私 「もしもし、ともちゃん?おはよう。」
ともみ「おはよう。」
私 「ご飯食べた?」
ともみ「まだ食べてない。」
私 「朝ご飯ちゃんと食べよ。」
ともみ「うん。」
普通に会話してました(笑)。
もうビックリしてます。
7ヶ月も次女も歩行器乗るようになったみたいで
走り回ってるようです。
すっかり成長してますね。
今晩、逢うのが楽しみです。
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連日のテレビを見ていると
他のことをあまり書く気にならなかったですが、
今日から日常のことなどもまた書いていきたいと思います。
被災地の1日も早い復興を心より祈念申し上げます。
先週は我が家も何かとありました。
木曜日の朝起きて、2階の寝室から降りてくる際に
嫁さんが子どもを抱いたまま階段を3段ほど踏み外し転落。
子どもは無傷だったのですが、
子どもをかまったためか足を痛めて病院にいったら
左足の指を二本骨折しました。
ギブスをはめて固定するも
子どもの世話はおろか家事もできないので
まずは母に来てもらい手伝ってもらいました。
金曜日から実家に帰ってますが、
今日診察に行くこともあり、5日ぶりに2人の娘と3人で帰ってきます。
逢わなかった5日間ですっかり成長しているようです。
2歳の長女はメッチャしゃべります。
電話しても会話が成立するようになってます。
今朝も電話があり、
ともみ「モチモチ」
私 「もしもし、ともちゃん?おはよう。」
ともみ「おはよう。」
私 「ご飯食べた?」
ともみ「まだ食べてない。」
私 「朝ご飯ちゃんと食べよ。」
ともみ「うん。」
普通に会話してました(笑)。
もうビックリしてます。
7ヶ月も次女も歩行器乗るようになったみたいで
走り回ってるようです。
すっかり成長してますね。
今晩、逢うのが楽しみです。
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とある校長先生の祝辞
立教新座中学・高等学校の校長である渡辺憲司先生が
学校のHPに「卒業生へのメッセージ」として書かれている文章を読みました。
本当に素晴らしい内容だと思います。
もしよかったら読んでみてください。
「青春とは孤独を直視することなのだ。」
現実を直視することから逃げることを未熟というのなら
少年から大人になる間に直視することが大切なわけです。
なにより
「いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。
くそまじめな男になれ。
一途な男になれ。
貧しさを恐れるな。
男たちよ。船出の時が来たのだ。
思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。
忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。
愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。」
この箇所に教育者としての厳しくも温かいエールがこもっていると思います。
「愛される存在から愛する存在に変われ。」
大人と子どもの違いはここなのかもしれませんね。
それでは、ぜひ全文をお読みください。
「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。」
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真
学校のHPに「卒業生へのメッセージ」として書かれている文章を読みました。
本当に素晴らしい内容だと思います。
もしよかったら読んでみてください。
「青春とは孤独を直視することなのだ。」
現実を直視することから逃げることを未熟というのなら
少年から大人になる間に直視することが大切なわけです。
なにより
「いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。
くそまじめな男になれ。
一途な男になれ。
貧しさを恐れるな。
男たちよ。船出の時が来たのだ。
思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。
忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。
愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。」
この箇所に教育者としての厳しくも温かいエールがこもっていると思います。
「愛される存在から愛する存在に変われ。」
大人と子どもの違いはここなのかもしれませんね。
それでは、ぜひ全文をお読みください。
「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。」
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真
「今、私たちにできること」
「今、私たちに出来ること」
この度の「東北地方太平洋沖地震」により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災されました皆様、そのご家族の皆様に対しまして、謹んでお見舞い申し上げます。
一日も早い被災地の復興を、グループ社員一同心より祈念いたしております。
今なお、被災された多くの方が、苦難の中におられます。
私たちは今、何をするべきか、私たちに出来ることは何かと考えました。
「被災者の皆様のことを考えて、営業と言われるような活動は、自粛すべきか…」
そう思う気持ちもありました。
しかし、「自粛」という名の元に、被災しなかった地方の経済活動が縮小してしまえば、
厳しい財政の日本にとっては、さらに大きな痛手となり、
被災地復興の為の「お金」も満足に捻出できなくなってしまいます。
もちろん「義捐金」や「被災地での作業」も大切です。
それにも出来る範囲で真摯に取り組んで参ります。
しかし、被災しなかった私たちが、行なうべき何よりも大切なことは、
地元で自分たちの仕事を、今まで通り続けていき、
微力でも経済活動に貢献してゆくことだと考えています。
いつまでも下を向いてはいられません。
これからは被災地の復興に向けて、日本国民が一丸となって、
力を合わせていく必要があります。
私たちには、落胆されている被災地の方々を助けるという責任があると思います。
「家づくり」は、人生最大の事業のひとつです。
それだけに、経済にも大きな影響を与えることが出来ます。
しかし、特に今は、家づくりに対して、不安な方が沢山いらっしゃると思います。
ですから、私たちは、その不安を解消する情報や、商品・サービスを提供する事が、
今一番必要だと感じています。
私たちは、今までどおり「家族が健康で仲良くなる家」をつくり続けます。
「見学会」や「家づくり勉強会」も、自粛をすることなく積極的に行なってまいります。
その事で、一組でも多くのご家族の、お役にたちたいと考えます。
大切なことですので、もう一度だけお伝えさせてください。
被災しなかったものが、いつも通り経済活動をきちんと行なうこと、
そして、その結果生まれるものを、被災地の為に使ってもらうこと。
これこそが、被災地への最も有効な支援となることを、私たちは忘れてはなりません。
勇気をもって、日常を守る活動を、ごいっしょに行ってゆきましょう!
平成23年3月18日
株式会社モリシタ・アット・ホーム
代表取締役
森 下 泰 成
続きを読む about 「今、私たちにできること」
この度の「東北地方太平洋沖地震」により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災されました皆様、そのご家族の皆様に対しまして、謹んでお見舞い申し上げます。
一日も早い被災地の復興を、グループ社員一同心より祈念いたしております。
今なお、被災された多くの方が、苦難の中におられます。
私たちは今、何をするべきか、私たちに出来ることは何かと考えました。
「被災者の皆様のことを考えて、営業と言われるような活動は、自粛すべきか…」
そう思う気持ちもありました。
しかし、「自粛」という名の元に、被災しなかった地方の経済活動が縮小してしまえば、
厳しい財政の日本にとっては、さらに大きな痛手となり、
被災地復興の為の「お金」も満足に捻出できなくなってしまいます。
もちろん「義捐金」や「被災地での作業」も大切です。
それにも出来る範囲で真摯に取り組んで参ります。
しかし、被災しなかった私たちが、行なうべき何よりも大切なことは、
地元で自分たちの仕事を、今まで通り続けていき、
微力でも経済活動に貢献してゆくことだと考えています。
いつまでも下を向いてはいられません。
これからは被災地の復興に向けて、日本国民が一丸となって、
力を合わせていく必要があります。
私たちには、落胆されている被災地の方々を助けるという責任があると思います。
「家づくり」は、人生最大の事業のひとつです。
それだけに、経済にも大きな影響を与えることが出来ます。
しかし、特に今は、家づくりに対して、不安な方が沢山いらっしゃると思います。
ですから、私たちは、その不安を解消する情報や、商品・サービスを提供する事が、
今一番必要だと感じています。
私たちは、今までどおり「家族が健康で仲良くなる家」をつくり続けます。
「見学会」や「家づくり勉強会」も、自粛をすることなく積極的に行なってまいります。
その事で、一組でも多くのご家族の、お役にたちたいと考えます。
大切なことですので、もう一度だけお伝えさせてください。
被災しなかったものが、いつも通り経済活動をきちんと行なうこと、
そして、その結果生まれるものを、被災地の為に使ってもらうこと。
これこそが、被災地への最も有効な支援となることを、私たちは忘れてはなりません。
勇気をもって、日常を守る活動を、ごいっしょに行ってゆきましょう!
平成23年3月18日
株式会社モリシタ・アット・ホーム
代表取締役
森 下 泰 成
続きを読む about 「今、私たちにできること」
みんなで分け合えば、できること
自分にできること
下敷きになったバスの中にいる
娘さんの遺体の頭をなぜているご両親の話を新聞で読みました。
散歩中、津波にあい
手をつないでいた奥さんとお子さんが目の前で流された
ご主人の話をテレビで見ました。
瓦礫の下でお孫さんを守ろうと
覆いかぶさったまま亡くなられていたおばあちゃんの話をネットで読みました。
日毎、様々なニュースを知るたびに泪がこぼれます。
なんでもない平凡な毎日が
どれだけ幸せなものなのか
改めて気づく毎日です。
姫路から直接なにかができるでもないですが、
何かひとつでも今できることがないかと考える毎日です。
義援金や節電が少しでも助けになるのなら
実行していきたいと思います。
続きを読む about 自分にできること
娘さんの遺体の頭をなぜているご両親の話を新聞で読みました。
散歩中、津波にあい
手をつないでいた奥さんとお子さんが目の前で流された
ご主人の話をテレビで見ました。
瓦礫の下でお孫さんを守ろうと
覆いかぶさったまま亡くなられていたおばあちゃんの話をネットで読みました。
日毎、様々なニュースを知るたびに泪がこぼれます。
なんでもない平凡な毎日が
どれだけ幸せなものなのか
改めて気づく毎日です。
姫路から直接なにかができるでもないですが、
何かひとつでも今できることがないかと考える毎日です。
義援金や節電が少しでも助けになるのなら
実行していきたいと思います。
続きを読む about 自分にできること
地震
今でもどれだけたくさんの方が
倒壊した家屋の下や様々な場所で
恐怖や寒さに耐えているのでしょうか?
避難所にいる幼い子どもたちに
温かい食べ物や毛布はあるのでしょうか?
赤ちゃんのオムツやミルクはあるのでしょうか?
子を持つ親の立場になれば
今まで気づかなかったことにも心配になります。
茨城、神奈川、新潟、山形、千葉にいる友人たちの
無事がわかり少し安心したところです。
今はただ、一人でも多くの方のご無事をお祈りします。
続きを読む about 地震
確定申告
昨日、確定申告してきました。
昨年、家を建てた森下家ですが、
住宅ローン控除を受けるため昨日いってきました。
書類は月曜日の夜、
パソコンで1時くらいまでかかって作成。
なので、申告は10分ほどで終わりました。
普段することもない作業ですし、
そもそもよくわからない内容だったりしますので(笑)、
試行錯誤の連続でしたが、無事終わってよかったです。
15日までですから
まだされていない方はお早めに・・・。
ちなみに確定申告を提出する待ち時間より
駐車場に車を止める待ち時間の方が長いですのでご注意ください!
追伸
1年前の今日、3月10日は森下家の上棟でした。
本当は1日前の3月9日だったのですが、
雪が降ったのと、おばあちゃんのお葬式になってしまい1日延長しました。
でも、おばあちゃんもきちんと見送れてよかったです。
痴呆になってしまってたけど
おばあちゃんにも一度でも遊びに来て欲しかったですね。
あれから1年。
もうすっかり家にはなじんで暮らしています。
無垢フローリングにしたこともあり、
娘が早くも煩悩の数以上に傷や凹みをつけてくれていますが(笑)、
家族4人でまったり暮らしています。
家族が健康で仲良く暮らせていることに日々感謝します。
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昨年、家を建てた森下家ですが、
住宅ローン控除を受けるため昨日いってきました。
書類は月曜日の夜、
パソコンで1時くらいまでかかって作成。
なので、申告は10分ほどで終わりました。
普段することもない作業ですし、
そもそもよくわからない内容だったりしますので(笑)、
試行錯誤の連続でしたが、無事終わってよかったです。
15日までですから
まだされていない方はお早めに・・・。
ちなみに確定申告を提出する待ち時間より
駐車場に車を止める待ち時間の方が長いですのでご注意ください!
追伸
1年前の今日、3月10日は森下家の上棟でした。
本当は1日前の3月9日だったのですが、
雪が降ったのと、おばあちゃんのお葬式になってしまい1日延長しました。
でも、おばあちゃんもきちんと見送れてよかったです。
痴呆になってしまってたけど
おばあちゃんにも一度でも遊びに来て欲しかったですね。
あれから1年。
もうすっかり家にはなじんで暮らしています。
無垢フローリングにしたこともあり、
娘が早くも煩悩の数以上に傷や凹みをつけてくれていますが(笑)、
家族4人でまったり暮らしています。
家族が健康で仲良く暮らせていることに日々感謝します。
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