Q&A:新築と外構はセットでと言うけど何を気をつけたらいいの?
今日のご質問は、「新築をする時に、新築と外構はセットでやるべし、計画すべしってよく聞くけど、セットはいいとして、何を気をつけたらいいんですか?」という、ある面素朴かつ深い質問でして、それを元に話をしていきますね。
ずっと家づくりの最初にやることはこれかな、みたいな話をしてきたんですけど、簡単に言うと家づくりの最初の一歩はゾーニング、和風の言い方で言うと縄張りです。お城を建てた歴史的な偉人なんかも、山にどんな縄張りをするか、みたいなことをまずやった、なんて話を聞きますけど、同様に、今の設計の言葉ではゾーニングということになります。その敷地で、いわゆる屋敷として、どんなエリアに区分するかをまず決めて、その区分の中に建物がどうあるべきか、そしてそれをどういう位置に置くか、ということになってくるんですね。
その時に僕がこれまでよく言ってきたのは、まず現代社会は車を使う人が多いので、車を使わへんって人は別として、駐車場の位置と台数を最初にしっかり考えましょう、ということです。自転車やバイクも含めた駐輪場も、バカにならないスペースが要りますからね。家のことばかり考えて、あとから「駐車場もっと考えとけばよかった」ってよくあるので、まずそこから始めてみたらどうですか、という話です。それから二つ目に、敷地に立ったら周りをしげしげ眺めて、「一体どんなものがあるんだろう」と見る。特に僕の視点は、その景色を活用できないか、お借りできないか、いわゆる借景ができないか、という問いを立てることです。
そして、この家のそもそも正面とはどこか、というのもよく考えます。間取りを考えた結果、こんな立面ができて、正面がこんな顔になりました、というのはあんまり良くないと思うんです。正面はどこかって意識するだけで、ちゃんと力が働いてきますよね。同時に、景色を利用する方向性ともつながるんですけど、市街地の中であれば、この住んでる町のどちらに対して家が開かれているのか、つながっていくのか、ということも考えます。ここは借景、正面、街への開き方、全部一体のものなんですけど、ひとつ意識して見てみるということです。さらに植栽ですね。もし木を植えるとしたらどこなのか。借景って借りるなら、この家は周りに何を返すの、という話にもつながります。拝借するものはしますけど何も返しませんって、ちょっと人間としてどうかな、と思うところもありますしね。それから外部収納。家の中には持って入れないけど、置いておかなければならぬものってありますよね。例えば冬用タイヤ。山のほうだと雪が降ったり凍ったりする地域もありますから、インナーガレージにするのか、外部に置くのか、車のそばにあった方が便利だったりもします。そういうのも含めて、外構とセットで考える、ということなんです。
ここで今回は、僕が大好きな堀部康先生が中島隆先生と共著された「建築と利他」という本の話を少し引きながら解説したいと思います。この本の中に、堀部先生が「建築の99%は配置計画で決まるよ」というフレーズを書かれていて、僕はこれにすごく引っかかりを覚えました。堀部先生は「建築の設計で最初でかつ最大の仕事は配置計画です」とおっしゃっていて、言い換えると、土地や地域や風土の中での建築の居場所を見出し、整えることだと。つまり、その土地のどこに、どちら向きで、どこにどんな余白を残して、どういう輪郭を置くか。もうこれで多分、建築の99%が決まるんです。厄介な言葉が「余白」で、僕もつい「余白があったらいいよね」「余白を作ろう」ってノリで言っちゃうんですけど、じゃあ余白って一体何なんやろ、って話なんですよね。
堀部先生は若い頃、自分が感動する建築とか、多くの人が訪れて深い多幸感を覚える建築が、なぜそんなふうに作用するのか、どの要素が素晴らしいのかがよくわからんかった、とおっしゃっている。巨匠がそう言うから、僕も「余白って言うけど、作りゃいいって何なんやろ」って思うわけです。そこで堀部先生は考え抜かれて、パッシブデザインを再定義するような話をされていました。僕は松尾先生の門下生で、パッシブデザインをきっちりやろう、素直にやろう、ということをやってきたんですけど、堀部先生は「それだけじゃなくて、もっと広いもんじゃないの」とおっしゃるんです。パッシブデザインとは、既にあるものを生かすことなんだ、と。哲学的で難しいんですけど、体の内側にすでにあるものと、体の外側にすでにあるものがある、という大きな括りで捉える。外側でわかりやすいのは気候や風土、街の歴史や自然。群馬みたいに自然が豊かなところもあれば、僕の姫路みたいに城下町の歴史が身近なところもある。こういう「すでにあるもの」を生かすって何だ、という話です。
さらに堀部先生が強調されていたのが「記憶」です。自分の中にある記憶や慣習も生かしたい。だから特に建て替えの場合、今まで住んできた土地の記憶を生かせないか、という視点がある。僕も友人の小暮さんが、すごく立派な木をそのまま生かして建てている家を見せてもらったことがあって、「すごいな」と思ったんですよ。褒めたくないけど、すごいなお前、みたいな感じでね。ああ、こういうことなのかな、って。本には写真が出たり出なかったりですけど、そういう体に染み込んでいる勘どころや技術、ノウハウを生かす、という話にもつながっていきます。僕らが言ってきた太陽の恵みや風の気持ちよさを取り入れること、厳しい気候から器としての建物で守る技術、断熱・気密・日射遮蔽・日差しの扱い、設備や器具の選び方、省エネ性を高める工夫、そういう「身の内にもともとあるもの」も生かす。設計者として持っているものも生かすし、お客さんの記憶も生かすし、それ以外の「すでにあるもの」も生かす。全部ひっくるめてパッシブデザインなんだ、というふうにおっしゃっているんです。
環境づくりにおいて、やるべきことをやって、すでにあるものを生かしていけば、その後に余白は生まれてくる。だから余白は自動的に生まれてくるもので、余白を作ろうとして設計するのは難しい、と巨匠は言うんです。これ、めちゃくちゃ刺さるんですよね。僕らが「余白を作ろうよ」って言うのは薄い。いろんなことを活かした結果として余白が生まれるのであって、余白は作ろうとしてできるもんじゃない。ここに深さがあると思うんです。だからこそ、新築は外構とセットで考えなアカン、という話にもつながっていく。例えば、寒い冬に暖かいところにいて不快な人っていないですよね。頭寒足熱で足元が暖かくて上が涼しい、これを不快に思う人もいない。気持ちいい環境ができたら、家族の会話も広がってギスギスしにくい。心の余裕、余白みたいなものが生まれてくる。それも建物が与えてくれる余白なんです。
ここから少し各論ですけど、堀部先生は「バックスペースの設計に力を入れる」と言うんです。家を建てるとなると、リビングをどれくらいにするとか、ダイニングをどうするとか、表舞台の話に意識がいきがちですけど、堀部先生はそうじゃない、と。ユーティリティ、家事をするスペース、キッチン、裏方のバックスペースを、住み手の体に適した寸法感でしっかり盛り込んで、集中力を発揮して設計する。そうすると自然とリビングやダイニングができる、というんです。絵の名人が「手を描くんじゃない、輪郭の向こうを描くんや」みたいなこと言って、わからんって思うんですけど、ちょっとわかる気もする、あれに近い感じですね。裏にフォーカスして整えると、結果として表が見えてくる。それが余白になっていく。そのためには、この家に植える木や、外のつくり方もすごく大切なんじゃないか、という話なんです。
僕も30代の頃に家を建てましたけど、今偉そうに言ってますけど、とんでもない家です。道路に接してるところに4台止められるスペースを取って、当時は忙しくて雑草抜いてる暇ないからコンクリート打って、ガチンガチンに固めた庭にしたんですよ。インターロッキングを一部やったりはしたけど、車さえ止めればええんや、って。閉ざされた発想ですよね。でもそこに母が大きな鉢を買って木を植えて、だんだん鉢が増えて、綺麗な樹形の優しい木が並んでいった。最初は車止めにくいやん、って思ってたんですけど、今になったら、この木があってこの家やな、と思うんです。街行く人が「綺麗やな」って立ち止まって見たりすることもあって、それが触媒になって、うちの家が町内とつながっていくみたいなことが起きた。若気の至りやったな、って思うし、母は母で、そういうことを思ってやってくれたんかな、と思ったりします。
もうひとつ体験で言うと、姫路城の近くを散歩していると、一軒古いお家に白い木蓮の大きい木が植わってたんです。オフシーズンは葉が茂ってるだけで普通なんですけど、3月の終わりから4月頭くらい、桜と重なるような時期に、ものすごく満開に咲く。早朝の薄暗い街を歩いてると、真っ白の木蓮の花が目に焼き付いて、「また春が来たな」って思わせてくれるんですよね。ところがある時、その木が大きくなりすぎたのか、家の人が思うところがあったのか、スパッと根元から切られて、なくなってしまった。あの時、すごく喪失感がありました。昔師匠に「木なんてもんは、あって当たり前いうのは、失くさなわからへんねん。あなたを支えてるもんやったって実感する時が絶対ある」って言われたことがあって、その時は「そんなもんですか」って感じやったけど、まさにそれを体験したんです。俺自身を支えてるものって、そういうのもあるんやな、って。
だから、もし木を植えるとしたらどこかな、って考えてみるのは悪くないと思うんです。手入れが大変や、って思う人もいると思うんですけど、若い人で気にする人にはいつも言うんです。「小さい木でええから植えたら」って。小さい木はそんなに値段せえへん。でもその木がやがて大きくなって、あなたが僕ぐらいの年になった時には、それなりの木になる。その木が子どもの成長を見つめてくれて、家族をずっと見つめてくれてる、って感覚は、その時に実感できるんじゃないかなと思うんです。新築の間取りは放っておいても考えるじゃないですか。でも外構も含めて考える意義って、かなりあると思います。
僕は最近しみじみ思うんですけど、外に閉じた家はつまらないな、って。以前Facebookでも書きましたけど、うちの影山さんが設計した家を見に行ったら素晴らしかった。お客さんの理解もあって街に開いていて、綺麗な樹木もあって、いいなと思ったんです。一方で周りを見ると、みんな閉じた家。高性能の家には窓が全然ないし、庭も機能性以外は何もない、みたいになっていくと、なんとつまらんなって思いました。そして何より、高性能の家に暮らしてみて感じるのは、本当に暖かい家に暮らしたら外に出たくなる、ってことです。サウナで例えるのがいいかはわからないですけど、出た時の涼しさみたいな豊かさがある。家の中が暖かいからこそ、外へ出た時の爽快感がある。その時に外に開かれていないと、その気持ちは生まれにくいんですよね。
子どもたちが独立していった今、僕が思い出すのは家の中だけの思い出じゃなくて、家の内と外のつながりの思い出ばかりなんです。デッキにプール作ってチャプチャプしたり、みんなでバーベキューしたり、僕が外で椅子を出してビール飲んでたら、娘が横にちょこんと座ってジュース飲んだり。そういうことの積み重ねが、結果としての余白を生んでたんやろな、って思うんです。意図せずに、暮らしの中で生まれてきたもの。それは設計でも同じで、狙って作るというより、やるべきことを丁寧にやって、すでにあるものを生かしていった結果として、余白が立ち上がってくる、ということなんじゃないかなと思います。
なので今日は、How to的に「これを気にして」ってこともバラバラ言いましたけど、もし機会があったら堀部先生の本も読まれたら、とても深いことが書いてあって、建築だけじゃなく生きる上での気づきみたいなのも感じられると思うのでおすすめです。必ず外と内、両方を考えていく。そして狙うんじゃなくて、結果的に生まれるものを味わおう、楽しもう、みたいなことを少し意識してもらえたら、みなさんの家づくりはより豊かになるんじゃないかなと思って、今日は解説をさせていただきました。


