「老いのレッスン」を読んでこれからの生き方・暮らし方を考える
今日は「それ、家づくりとどう繋がるん?」と思われるかもしれませんが、僕の大好きな哲学者であり武道家でもある内田樹先生の『老いのレッスン』という本をご紹介します。これを肴に、これからの生き方や暮らし方を一緒に考えてみるのもいいかなと。例によって僕の板書というか落書きを眺めながら、ゆるっと聞いてください。内田先生をご存じない方に少し紹介すると、1950年生まれ。東大文学部を出てフランス文学者、翻訳家、思想家で、合気道七段。神戸女学院大学名誉教授で、先生のもとで学びたいからと女学院に進む強者の女性も僕の周りにいました。背が高くがっちりして、どことなく男前。ご本人はシングルファーザーとして娘さん(ルンちゃん)を育てられ、それにまつわる本も面白い。僕が偉そうに語る“いい話”の多くは先生の受け売りやと思います。面白い先生なので、ぜひ「内田樹」でググって、ピンと来た本を何冊か読んでみてください。
この本には副題があって「心穏やかに生きるための12の老いのレッスン」。章ごとに若い女性編集者の質問に先生が応える往復書簡風で進みます。家づくりと何の関係が?と思うかもしれませんが、僕は家づくりって「どう暮らすか」を決めることやと思っていて、暮らしはそのまま人生なんですよね。だから胸に刺さるところが多いんです。まず「老いは悪いことか?」という1番。今は老いを忌避する空気があるけれど、老いを正面から受け止めると人生はむしろ豊かになる、と。乱暴な若者に腹も立つけど、老いを想像できない“子ども”なんだと先生は言います。そこから僕は、ハイデガーの「死への先駆」をふと思い出しました。人は死を先駆けて自覚して生に向かう、その覚悟が生を際立たせる、というあれです。
ドキッとしたのが2番「長持ちする体の使い方」。僕、いま坐骨神経痛で七転八倒しまして、ようやく復活しかけの身。先生も膝を人工関節に、歯はインプラントに。昔なら「もはや死んだも同然」の状態でも、医療の発達で生き永らえる時代になった、と。もはや若い頃の回復は二度とない、体は精緻で壊れやすい。だからこそ「長持ちする使い方」で生かされた自分と向き合う必要がある。ほんま、身にしみます。続く3番「親の老いとの向き合い方」。まさに今、85歳の母と向き合っています。若くて綺麗だった自慢の母も、今はすっかりおばあちゃん。しょっちゅう親子喧嘩もしながら、どう晩節を悔いなく終えられるかを悩む日々。そこで先生は「親の死に方を想像してみなさい」と。無理に“向き合う”より、親が今どこを見ているか、同じ方向を見るんだと。親が「どう思われて死にたいか」は会話の中で感じ取れる。寄り添いは難しいけれど、その気遣い自体を喜びと捉えてみよう、と背中を押してくれます。
4番「死について考えることは若い人の生を豊かにする」。墓参りの意味を問う話も印象的でした。先生が母と兄と三人で内田家の墓に行った出来事。温泉に寄って美味しいものを食べて帰る、ただそれだけが救いになった、と。供養は「供える」と「養う」。亡き人に供え、いまを生きる私たちがそれを滋養にする。死をリアルに考える瞬間が、いまの生を濃くするんだと。たとえば大好きな鰻を「あと何回食べられる?」と数えた瞬間、味が一気に深くなる。有限を知ると、生は細やかに際立つ。ここでまたハイデガーに戻りますが、「死への先駆」を若いうちに理解できていたら…60歳の今だからこそ強く思うところです。
5番「人生は思い通りにいかない」。そこで先生は“擬似的老人になる”という教養を勧めます。老いは病ではないし、「本当の自分」を無理に一つに定めなくていい。腰抜けな自分も、邪悪な自分も、正直な自分も層になっていて、ぜんぶ含めて自分なんだ、と。若い人との接し方については、「人を育てる唯一のコツは親切にすること」。年下を“指導”しようと構えず、親切にする。場が良くなるし、恩人と呼びたくなるのはたいてい親切にしてくれた人やろ、と。働く=側(そば)を楽にする、という言葉遊びのようでいて、実は本質やと思います。
7番「本当の友だち」。相性の良し悪しで選別するんじゃなく、「何を考えているかわからないから親友」みたいな逆説も含め、関係は変化するもの。大人になっても友だちは作れるし、他人を侮辱して自分の優位を保つような関係づくりはやめよう、と。伴侶は人間関係の最も大きな存在だけれど、「選び取る」というより“出会ってしまう”ものに近い、とも。悩みがある人は先生の『困難な結婚』もおすすめです。
9番「天職の見つけ方」。就職内定で迷う学生に先生は「理論上、最初から良い勤め先はない」と。入って働いてみないとわからないし、自分の関わり方で場は変わる。良い職場になったとしたら、それは“あなたが呼ばれた”から。誰かの助けを呼ぶ声に耳を澄ませば、進む方向が見えてくる。僕も、やりたい!で始めたことより、人に頼まれてやったことの方が、結局大きな仕事になってきた気がします。
結婚と子育てについて。家づくりでは「子育てのために」「夫婦で幸せに」と建てる方が多い一方で、子を持たない選択も尊重される時代。先生は「結婚は幸福になるためにするものではない。期待しすぎない方が長持ちする。けれど契約で縛られるからこそ人生が豊かになることもある」と言います。子どもについても、少子化という時代の大きな流れはあるけれど、「あなたはあなた」。望んでも授からない人もいる前提で、持ってみないとわからない価値がある、と。
最後のまとめ「死という難問」。人間はいずれ死ぬ、でも“いま”ではない。人は26年かけて死ぬ、と先生は言います。生物学的死の約13年前から、少しずつ死に向かっていく。僕も白内障の手術やインプラント、坐骨神経痛…これらは階段の一段目です。そして死後も、およそ13年は周囲の記憶に生きる。うちの親父は35年前に亡くなりましたが、長らく毎朝仏壇に手を合わせ、迷うたびに問いかけてきました。13回忌の頃には参列者も減り、「これで区切りを」となることが多い。辛さは薄められる、と先生は言います。カルピスの原液は苦いけれど、水で薄めれば飲める。死の苦さも、時間と人の手で薄めれば飲める。100年のコールドスリープで目覚めたら、誰も自分を知らない――そんな“永らえる”ことは幸福か? 映画『グリーンマイル』の例も引きつつ、長く生きることの別の側面を示してくれます。では、どう薄めるか。周りに親切にすること。周りを楽にし、「自分は十分やった」と思えることが、心を穏やかにし、苦い薬をゆっくり飲み干す助けになる、と。
ここまでが本の骨格です。僕は家づくりを考える人に、読むといい本を折に触れて紹介してきましたが、この本は特におすすめ。シニアの方には必読、若い人にも早めに読んでおいてほしい。僕らが家を建てる時、必ず向き合う命題がある。「この家に、あと何年、誰と暮らすか」。子どもは育ち、夫婦二人になり、いつか一人になる。夫婦のうちは協力して暮らし、どこかで施設に頼る選択もある。母はよく「迷惑をかけたくない」と言います。僕は「かけたらええやん」と思ってきましたが、すっぱり鮮やかに、自分で全うしたいという願いもあるんやなと、この本を読んで腑に落ちました。老いを先取りして考える、死を見据える――それは生を豊かにする。家づくりでも同じこと。もし僕が「いずれ坐骨神経痛になる」と知っていたら、住まいの考え方はもっと変わったかもしれません。だからこそ、家は自分の人生を豊かにするために何度でも作っていい、と僕は思っています。この12のレッスンのどれかが、今あなたの悩みの入口を照らしてくれるかもしれません。夫婦で、親子で、この本をネタに話してみてください。


