私は友人たちと情報交換をよくします。
面白かった本があったら教えてもらい
感動した音楽があったら教えたりとなんでも共有しています。
ネットの記事などでも面白かったり為になったら教え合いをするのですが、
たわいもない話ですが、妙に納得して腑に落ちた話があったのでご紹介します。
それは「愚痴・悪口で盛り上がりやすいのはなぜ?」って話です。
確かにいろいろな人と話す機会がありますから
愚痴っぽい話もすることももちろんありますが、以前から思ってたことがありました。
それは「会話」って
誰とでも同じ話、内容でしているわけでなく、
この友人とはこんな話を この友人とはあんな話をと
人によって妙に話す内容が違うってことです。
それは趣味があうとか嗜好が似てるとかじゃなく
わかりやすく言えばA君といたらポジティブな会話なのに
B君とはいつもネガティブな会話になったりすることが多いようなニュアンスです。
その人といたら
「何となくやだな」と思っていても、ついつい悪口や愚痴ばかりになっている
ことに気づいてなんでかな?と思ってました。
でも、その理由はこんな理由だからと聞いて納得してしまったのです。
「愚痴・悪口を話すと盛り上がりやすいのは、
その場のみんなが共感でき、連帯感を感じやすい数少ない話のネタだからです。
たとえば仕事仲間やクラスメイトなどは、
共通の趣味や学業の志があるわけでもなく、たまたま同じ場所に居合わせた者同士です。
したがって、飲み会などで長時間同じ人と話していると、
どうしてもお互いが共感しやすい愚痴・悪口に話がシフトし、
ネガティブな話題に終始しやすくなってしまうことが多いのです。」とのことでした。
確かにそうですね。
私には時には同志であり、時には仲間であり、時にはいい意味でライバルの友人たちがいます。
嬉しいときには一緒に大笑いし、
悲しいときには一緒に大泣きし、
出逢えてつるめたことに感謝している仲間がいます。
確かに彼らといるときは熱い話か笑える馬鹿話が多いです。
たまにネガティブな会話になってももっとユーモアがあるし
会話してても後味がわるくないことが多かったりします。
愚痴や悪口を言うことがいいとか悪いとか言っているのではなく、
それを言うような環境でしかない人間関係はあまり成熟した関係ではないということに
改めて気づいた自分がいました。
本来、人間は本来成長欲求を持っているそうです。
「人は基本的にポジティブな方向へ、建設的な自己実現の方向へ進んでいく存在である」とのことです。
愚痴・悪口で無駄に時間を過ごしていると、
必ず自分自身やその人間関係に満足できなくなり、
そして、自分をよりよく生かし、強化していこうという欲求が働き、
愚痴・悪口を言い合っていた自分やその人間関係から卒業したくなっていくそうです。
したがって、愚痴・悪口対策は、まず自分から自制することが大切です。
言いたくなっても周りが言っていても、グッと飲み込む忍耐力が、円満な人間関係を続けるためには必要なのですとのことでした。
簡単そうで難しいですが、そこに成熟した人間になっていくヒントがありそうですね。
かといって全然ないのも健康でないですから(笑)
言ったとしても相手とタイミングはいるのでしょうね。
愚痴・悪口は我慢できなくなったときだけ、そっと打ち明けるのがマナーで、
そして、聞いてくれた相手には心から感謝し、いずれは自分も同じ分だけ相手の話を聞いてあげなければなりませんとも書いてありました。
そうやって気遣いあいながら
お互いのガス抜きを受け止め合えるような関係を
夫婦関係、友人関係などで築ければいいのかもしれないですね。
信頼できて感謝できる相手とお互いいいことも悪いことも分かち合えたら
それは愚痴でも悪口でもなく「心のクリーニング」のような気がします。
人間の悩みの8割以上は人間関係と思いますが、
それをどう築くかはやっぱり本人次第なことに改めて知った森下なわけでした。
※この記事は大美賀直子さんのお言葉を引用させて頂いています。