私は音楽が大好きです。
ロックも
ブルースも
ソウルも
R&Bも
ファンクも
沖縄民謡も大好きです。
そして日本の歌謡曲も大好きです。
(歌謡曲って低く評価されがちですが、
日本が世界に誇れる音楽ジャンルの一つと個人的には思っています。)
昭和歌謡史を作った一人とも言うべき人に
作詞家の阿久悠さんがいらっしゃいます。
阿久さんは本当に奥が深い発言をされる方で
その言葉に唸ってしまうことも多々あります。
先週、その阿久さんの追悼の意を込めたドラマがしてました。
ビデオに録画してたので
見たのですが、とても面白かったです。
ドラマの中でも
いい言葉がいっぱいありましたが、
1年位前に読んだ本に書いてあった言葉をふと思い出したので
そのまま抜粋してご紹介します。
それにはこんなことが書いてありました。
「’70年代は『新しい』という言葉に魅力があった。
人がまだ手をつけてないことを見つけ、そこに楽しみを探してみようという気分。
なになにみたいですね、と言われるのが最大の侮辱だった時代に、
同じ意欲を持った仲間と知恵を出し合い、互いの顔を見ながら盛り上がる高揚感。
そんな仕事が楽しかった。
しかし、’80年代以降、いつしか効率という言葉が幅を利かせるようになり、
CDが200万枚売れた、300万枚売れたという割にはお祭りにならない。
人の脳のなかの何かを刺激できなくなってしまった。
社会のシステムが人間の知恵や能力、さらには気持ちのいい欲求に
勝ってしまったのかもしれない。
だからこそ、私たちは今、心のなかのちょっとした余裕、
遊び心や愛情といった、人間が本来持っているはずのエネルギーを
再び高めていかなくてはいけない。
私はそう考える。」
阿久 悠
とても重みのある言葉と思います。
ある意味、制約が少なくなって
自由になった感じがしつつも
規格化、画一化された感のある世の中の商品の数々。
感じようによっては「無駄」なことも
感じようによっては「ゆとり」なことでもあることに気づける心が
何より大切な事を教えてくれるような気がします。
「効率化」を試みる人間には
「失敗」を恐れ「面倒」を避ける傾向が多かったりしますが、
実は「失敗」や「無駄」「面倒」な経験を経てきた人間で無い限り
何に意味があり
何に意味がないかが
分からないわけですから
実は何も効率化を向上できなかったりする人が多いことにも
気づかされる言葉です。
まぁ、誰にでもできることでないから難しいんですけどね(苦笑)。
そして「楽しさ」と「やりがい」を感じる心が
大切なことだとも思うわけです。
そんな阿久さんの心根を知りながら
多くの名曲を聴いたとき
また違った何かに気づけるような気がします。
ちなみに阿久さんが書かれた歌の中で
一番好きな曲は
河島英五さんの「時代おくれ」ですね。
特に30代以上の男性には聴いて欲しいですね。
今日はなんだか生意気書きました。
すみません。